ジョアン・ミロ JOAN MIRO『LA COMPLAINTE DES AMOUREUX(恋人たちの嘆き)』ポスター1953年制作。サイズは56x38cm。
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記載されている「Casa da Cloret」は、バルセロナの出版社。
作品の「JEUNES FILLES COUVRANT D'UNE ROBE AUX RECTANGLES SOMBRES LEUR NUDITE TRANSPARENTE À L'AUBE」は、「暗い四角形のある服で透明な裸体を覆う夜明けの若い娘たち」。
ジョアン・ミロ JOAN MIRO略歴:(1893-1983)
1893年
4月20日スペインのバルセロナに生まれる。
1910年バルセロナのガリ美術学校に入学し、ゴッホやゴーギャン、マティスそしてパリで生まれたばかりのキュビズムを知る。
1915年ガリ美術学校を卒業。生涯の友となるジョアン・プラッツやJ.F.ラフォルスと友情を結ぶ。
1919年初めてパリを訪れる。ピカソに会う。
1920年春までパリに住む。以降冬をパリ、夏をモンロチで過ごすようになる。
ダダの運動に参加し、ダダのメンバー達と交友する。
1930年トリスタン・ツァラの詩集『旅人たちの樹』のために最初のリトグラフを制作。
1933年ジョルジュ・ユニエの『幼年期』のために最初のエッチングによる版画作品を制作。
1938年マルクーシのアトリエでロジェ・ラクリエール、スタンリー・ヘイターらと共にエッチングとドライポイントを学ぶ。
1944年リトグラフ55点による『バルセロナ』シリーズが完成する。
1948年パリのフェルナン・ムルロの工房を拠点にリトグラフを制作。版画に鮮やかな色彩が施されるようになる。
1950年
パリのマーグ画廊で彫刻、オブジェ、版画による個展を開催。初めて木版に挑戦する。
1954年第27回ヴェネツィア・ビエンナーレで版画部門の国際大賞を受ける。
1957年ドイツのカイザー・ヴィルヘルム美術館で全版画作品の展覧会が開催され、ベルリン他4か所を巡回する。
1966年東京と京都での大回顧展のために初来日する。
1974年81歳パリのグラン・パレで回顧展が、またパリ市立近代美術館では全版画作品展が開催される。
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