自らを『浪速御氏』と称した日本画家で、晩年には日本画家として初の日本芸術院賞・恩賜賞を受賞した作家です。こちらは扇面を表装(一文字風帯は竹屋町裂)したもので、雨の中行きかう町衆を楯彦らしい画風で描いた作品となっております。落款は『己丑中秋浪速御氏 楯彦』として印が捺してあります。己丑は昭和24年(1949)ですので、楯彦71歳仲秋の時の作品という事が判ります。待合掛けとしてお使いになれる洒落た逸品です。箱は上質な桐箱(無地箱)でございます。
紙本。塗軸。無地箱。
高さ130㎝ 幅62.7㎝(表装を含む)
▢菅楯彦(すがたてひこ)
明治11年(1878)~昭和38年(1963)
日本画家。鳥取市生まれ。本名は藤太郎。菅盛南の長男。幼いころ、父とともに大阪へ移住した。11歳のとき、父が病に倒れたため、高等小学校を2年で中退して画業に入り、「盛虎」と号して襖絵を描くなどし、家計を助けた。父の死後は、特定の師に師事することなく、襖絵や幻灯絵の彩色を手伝いながら、四条派・狩野派・土佐派・浮世絵派などを模写し、自作の縮図帖によって研究を重ねた。また、わずかな時間も惜しんで勉学に励み、漢学を山本梅崖に、国学および有識故実を本居派の鎌垣春岡に学んだ。このとき、師・春岡より「楯彦(たてひこ)」の号を授かる。「楯彦」とは「国を守る男子」という意味で、『万葉集』からの引用であるという。明治34年には、大阪陸軍地方幼年学校の嘱託となり、美術と歴史を教えるかたわら、松原三五郎に洋画を学んだ。翌年には森正寿に師事し、雅亮会に入会して舞楽を学んだ。晩年には四天王寺舞楽協会長を務め、伝統芸能である雅楽の保存に尽力した。昭和33年、日本画家としては初めて日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。昭和37年には大阪市初の名誉市民に選ばれた。昭和38年、85歳で死去。
【参考文献】
20世紀物故日本画家事典 美術年鑑社
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